大学とは就職予備校なのか?

最近私は大学、特に文系かつ難関私大に通っている学生で、大学を就職予備校だと捉えている学生は少なからず多いのではないか、と感じている。

私自身も、そう思っていた節がある。特に去年は、大学、学部のネームバリュー、ブランドばかりに目を向けており、自分が学んでいることが就職活動において役に立つのか?ほかの学部にしておいた方が潰しが効き、良い(ネームバリューのある)就職先につけるのではないか?と考えていた。

 

大学受験を終えてから、極端に勉強することができなくなった。受験時代の時と比べ、何か燃え尽きたような気分に陥り、あくまで進級するために仕方なく勉強をしていたし、大学=就職予備校という考えだったので、これが本当に意味があるのだろうか、と疑問を感じながら渋々勉強をしていた。

 

私自身は文学部に通っているのだが、親を始めとした大人に、「文学部って何になるの?就職活動に役立つの?」と言われることも多い。そして当時の私はそれに対して一切説明が思いつかなかった。心の奥底で、大人達と同じ考えを抱いていたからだ。

 

しかし、最近自分の専攻の教授とお話しさせていただける機会を頂き、この疑念はなくなった。人文科学で取り扱う内容は、どちらかと言えば実学的ではないだろう。答えのない、一見すると考えていても無駄だと感じる人も多い概念について研究する。しかしこの人文科学を究めようとする姿勢が、社会を、その学問をフィルターとして独自の観点から見れるようになり、現状ある問題ではなく新たな問題を発見し解決することができるようになる人材をうちの大学の文学部では輩出しようとしている、と教授はおっしゃった。

 

そこで私は、必ずしも研究している学問が実用的である必要はない。たとえ実用的でも、適当にやっていては何も身に付かないし、実用的ではなくても、それを究め自分だけの社会に対しての考え方を持ち、それを共有し伝達出来る人間の方が、よっぽど頭を使っているし社会に出てからも戦っていける、と感じた。

 

もちろん就職のために大学に入った、という人も多いだろう。ただ私の中で、大学は限られた年数の中で1つの学問と向き合い、それを時には共有しぶつけ合いながら自分だけの新たな「個性」を産み出していく場所であると思う。

 

少なくとも私自身は今自分がいる専攻の勉強をきちんと人に正しく解説できるレベルまでしていこうと心に誓ったし、その勉強の中で悩んだり苦しんだりすることに価値があるのだと思う。前の私の考え方では、全てに半信半疑で何も身につかない無駄な4年間を過ごしていただろう。

 

ここから無駄な大学生活過ごさないかどうかは私にかかっている。今の私自身は、全員が大学=就職予備校だと思っている世の中は面白くないと思うので、私のような考え方をする人がもっと出てきても面白くなると思う。

全員が同じような人間では、変化の無い退屈な世界になる。みんな違うからこそ面白い。まだまだ私は変われるし強くなれる。ここで折れるわけにはいかないのだ。 

 

よし、頑張ろう!!